教育は勝ち負けではない、(その1)
教育は勝ち負けではない、その2 皇太子の教育へのご配慮に感服
「副題」教育は暖かい心の人作りです、教育は強制ではない、政府にも愛民心を教育したい
教育は快適な社会を作り快適な生活を送るためです。他人に見せるための人作りでもない。他人を打負かすための人作りでもないのです。相互に助け合える、暖かい心の人作りです。
日本の教育は大学入試のためか他人をうち負かす教育です。だからゆとり教育は大学入試に不利になるから駄目なのです。
▼自殺者 8年連続で3万人に 「格差社会の影響」指摘も(毎日06年5月10日)
国内の自殺者が8年連続で3万人を超えそうだ。自殺者は、国が自殺対策の参考としている警察庁の調べで、98年から04年まで7年連続で3万人以上を記録。-----
野田正彰・関西学院大教授(精神医学)は「自殺者の増大は格差社会の影響が大きい。勝ち組は弱者へのいたわりがなくなり、負け組とされる人たちは挫折感を強く感じさせられている。競争に勝つため、子どものころから相手に弱点を見せられず、本音が話せなくなり、人と人とのつながりが薄れている」と話している。【玉木達也】(06.5.10追加)
▽、始めに、アメリカの運動会、次の◆ー4を見て下さい競争ではなくひとり一人が一所懸命やれば良いという感じなのです。特に玉投げの勝ち負けは面白いですよ。
アメリカの小学校見聞記 (ボルチモア)
▽中学生、大学生でも、分数の計算ができない、世界地図で国の位置が分らない、など驚く結果が放映されるがこれは「ゆとり教育」には全く関係ないのです。むしろ詰め込み教育だからです。
「弱きを助け強きを挫く」「悪いことはやらない」の人格育成です。
しかし結果的ですが、教育現場は他人を打負かすことが強いられるのが現状です。すなわち学力のランク付け、順位付け、が主体の教育で本質が置き去りになっているのです。受験戦争がその根源ですね。
特に 幼児の教育には個人個々の順位付けを極力控えるべきです。例えば、勝ち負けにこだわらない運動会など、また観客に良く見せようとする「運動会の練習やマスゲーム」なども弊害と思うのです。
小さい時から他人が見ているから、他人に良く見せよう、他人に勝たなければ、という教育はむしろ弊害です。
以前は手を繋いでゴール、勝敗にこだわらない運動会だったが、批判が多いため勝敗にこだわるようになってきたが、再考する必要があると思うのです。
◎他人が見ていようかに関係なく、悪いことはやらない、勝ち負けに関係なく何事も一生懸命やれば良い、このことが教育の原点と思うのです。
アメリカの小学校低学年の運動会のように、競争は2の次、が望ましと思うのです。04.12.16 05.2.28訂正
アメリカの小学校の要点(ボルチモア)
先生や保護者の手間ひまは日本に比べ極端に少なくいですよ。
フィンランドの教育を見習うべきですね。ゆとり教育で学力世界一。
●教育への公的費用支出、日米比較 (文部科学省のデータより)
日本は米国よりかなり少ないのです。特に奨学金総額は米国の1/15と極めて少ないのです。
A-1◆運動会で手をつないでのゴール(08年6月19日追加)
運動会で手をつないでのゴールは
結果の平等はおかしいとの理由で非難され廃止された、
これは馬鹿な評論家が非難したことで助け合いが必要とはさらさら考えていない証拠
子供は助け合いと思っていますよ、結果の平等とはさらさら考えていませんよ
手をつないでのゴールは助け合いの教育、温かい心の醸成になったはず。
廃止されなければ心の荒んだ現状はなかったと思う
馬鹿な評論家よって教育の原点がゆがめられたのだ、復活すべきだ。
※テレビで「手をつないでのゴールは結果の平等だ」と手厳しく非難していた評論家がいましたので、ゴールで待っていて手をつないでゴールしたではと推測しています。
▼ただ問題は、運動会の練習でいつもビリになるのが分かっているのに最後の晴れ舞台で公衆の面前でビリを見せる。これには疑問を感じます。ビリの人は運動が嫌いになりますね。
競争は誰が勝か負けるかが分かっていない場合にすべですよ。
◆親の守るべき鉄則
子供のテストがどんなに悪くても怒ることは絶対さけるべき、例え0点でも怒っては駄目
逆に50点以下なら500円あげる、点数が悪くてがっかりりたろうと慰めの小遣い
こんな雅量が親にあったら子供は立派に育つ、学力もつくのだ。
テストで良い点とったら、良かったね、と言葉だけで褒美はいらないのだ。
これは親が守るべき鉄則だと思う。(子供は親に言われるまでもなく良い点を取りたいのだ)
アメリカの小学校の運動会(ボルチモア)
05.2.28
541-06.5.10