親切と余計なお世話とは
「副題」「余計なお世話」との感覚は社会を駄目にする
親の子供虐めに、近所も、学校も、当局も、知らん顔が多いのです。病院に担がれるか死亡してから表に出る例も多い。
他の家は見て見ぬ振り、無関心、口を出さない、他の家には干渉すべきでないとの社会風潮、これは人間相互の良好関係、すなわち良好な社会構築の否定になるのです。
▼他人の意見には心よく耳を傾ける社会、もちろん決めるのは本人、が望ましいのではないでしょうか。◎無人島での一人暮らしは個人情報保護にはなるが人権尊重でも社会進歩でもないはずです。
▼時代とともに核家族化、少子化が進み、それも塾通い、ゲーム時代、その結果として人と人との付き合いの場が少なくなっているのです。子供の個室などもそうですが、人間相互間に距離を置くことが社会の進歩、人権尊重と誤認しているのではないでしょうか。
個人相互に日常生活実体も分からず良き関係はでるはずはなく、極端な潔癖性またはその逆、好き嫌い、他人の心情も分からず独善的感覚に陥り易く、人間社会の根幹が時代とともにおかしくなるのではないでしょうか。
▼この原因は個人情報保護が一人歩きしている、すなわち弱味を見せたくない、面子とか、虚栄心が原因ではないでしょうか。放っといて、という感覚は他人に状況が知られることが嫌、意見されるのがいやだからの方便に過ぎないと思うのです。
▼国家間でも同じと思うのです。内政干渉と他国の意見を聞くことを嫌がる方便に過ぎないと思うのです。為政者の面子とか虚栄心に過ぎないと思うのです。
●「よきサマリア人法」この感覚が社会には必要なのです。
よきサマリア人、「倒れている旅人を多くの人が見ぬ振りして通り過ぎた、理由は仮りに介護に失敗したらその責任を恐れてとのこと、サマリア人はそんなことに関係なく介護した」という話のようです。
よきサマリア人と全く同じ話寂しいですね
良いと思ったやった親切は、失敗しても人間としての責任がないという人生哲学で、この哲学が社会には必要と思うのです。
親切と余計なお世話の区分は困難ですが、現状では余計なお世話が大手を振って一人歩きしていると思うのです。
余計なお世話は本来存在しないのです。お世話を受けるか辞退するかは本人なのです。
教育的配慮の法制強化を 米国は規制大国です
集団生活の体験が必要なのはこれだ それで年金介護を保証する
04.1.28
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