教育問題の2論説

「副題」教育の原点を探そう

人間には「ゆとり」が必要なのです。少子化や自殺の問題も「ゆとり」がないからでしょうね。心の「ゆとり」もですね。

アメリカの運動会、ゆとりですね、勝ち負けには関係ないと言って良いほど問題にしていなのです。次の2項を見て下さい。特に玉投げの競技を
アメリカ見聞記の追加(その3)(03年7月)

●私の視点 ウイークエンド(05年1月15日)より抜粋引用

加藤幸次 上智大学教授(教育学)

(表題)◆学力低下 じっくり真の思考力を育め

(昨年末、相次いで発表された学習到達度で、日本の子供の学力が「危機的状況」にあると、報じられた。これに対して)

ーーー学力のオリンピックでこれ以上、成績を下降させないため、ひいては学力を向上させるために、授業時間を増やすべきだ、という結論には結びつかないはずだ。ましてや短絡的に改定前の学習指導要領にも戻って、土曜日の授業を復活すべきだ、という発想はなんとも情けない。

調査で上位になったのは東南アジアの小国が多い。シンガポールが算数、理科ともにトップだが、この国は児童を「急行組」「普通組」「鈍行組」に分け子供の将来を決めてしまう。数学が2位の韓国では大学入試で大規模不正行為が発覚するほど受験地獄である。台湾や香港も国を挙げて競争意識をあおる社会構造にある。その反対に、中位グループに甘んじている欧米諸国が今日、世界を政治的にも経済的にもリードしていることに注目すべきだ。ーー

オリンピックというゲームとは別に、次世代を担う子どもたちの真の学力を育てることが、学校の責務だろう。そのために、学校は子どもたちがわくわくするような「分る授業」「楽しい授業」づくりに腐心すべきである。ぞどもたちが「興味ある課題にじっくり挑戦できる」授業の中でこそ、子どもたちの思考力判断力、想像力が育まれるのに違いない。ーーー(以上)

●私の視点 2005年に寄せて(05年1月15日)より抜粋引用

吉岡忍 作家48年生まれ。著書に「墜落の夏」「放熱の行路」「路上のおとぎ話」など

(表題)◆日本の教育「自ら働く人間を」育てよう

世の中が動かない。止まっている。その現状をこの目でみておきたいと考え、2年ほどかけて、私は44の道府県を旅行してみたのだが、やはりどの街も元気がない。残り三つをまわっても、この印象はたぶん変わらない。冷え冷えした空気を浴びながら、私は教育のことを考える。学校と、学校教育を支えてきた政治や行政や世間的常識のことを。

結局、日本の教育は「使われる人間」しか育ててこなかったのではないか。学校はだれかに、あるいは何かに使われるためのトレーニングのばにすぎなかったこと。おとなしくか、要領よくか、有能にか、ともあれわが身を、使われる人間としてしか思い描けない日本人ばかりを育ててきたのではなかったか。

使われる人間は、寂しい。独りで、ばらばらに生きることしか知らないから、リストラや倒産や定年で辞めたとたん、友だちは散っていき、いっきに萎えてしまう。こうした人々の群れが、これからの一年間、この国の底に澱のように溜まっていくだろう。ーーー

自分からは動かない、動きたくない、動けない大人たちは傍観を決め込んでいる。そうでなかったら、ーーー

若者たちはどうだろう。若年層の10人に1人が失業中だ。学校にも仕事にも研修にも行っていない、いわゆる「ニート」な若者たちに、私もときどき旅先で会う。彼ら一人ひとりは、私ほど露骨な言い方をしないけれど、使われる人間の窮屈さや哀れな末路をたくさん見聞している。なぜ無理をしてまで世間に加わらなければいけないのか、とためらっている。

私はこの感受性は健全だと思う。だが、彼や彼女たちの多くも、自力で仕事ややりたいことを作りだす自信に欠けている。ここにも、あいかわらず使われる人間になることしか教えていない学校教育の欠陥が露呈している。

私が国内旅行をしつづける理由がもひとつある。ーーーー上司や同僚、先輩.後輩にではなく、見ず知らずの他人に働きかけ、議論し、ゆずったりゆずられたりしながら、何かをやり遂げようとしている人たちに会うためである。ーーーーこの人たちは自分一人の弱さを知っていて、だから他者が必要だとわかっている。いっしょに動くことのむずかしさにも面白さにも気づいている。

人間が人間を動かす人間社会の原理は、これからも変わらない。雇用や上下の関係がないとこで、一人ひとりはどう動けるのか。そのステージを社会と呼べば、やっと私たちは社会を作り始めたばかりである。以上