言論の自由を確保するには

(週間文春差し止めの正当性)

個人のプライバシー保護があってこそ言論の自由が保証されるのです。基本的には組織には言論の自由はないのです。だから内部告発も必要なのです。

田中真紀子衆議院議員の長女の私生活を巡る週間文春の記事で、販売差し止めを命じる仮処分決定は、東京地裁の勇気ある行動は賞賛されてしかるべきと思うのです。特に私人の保護だからです。公人であることが明らかなら問題もあるでしょうが。憲法判断もこうあって欲しいと思うのです。

◎重要なのは裁判官の判断が、一人の私人でも差別なく、反響とか情実に惑わされない、判断だったかが全てに優先されるのです。

結果は司法の場で明らかになるのです。それまでは裁判官自身ををとやかく批判すべきではないと思うのです。

報道の自由か、個人のプライバシー侵害か、どちらも重要で無視できないのです。しかし報道の自由は権力サイドに対する自由で、これが保証されるためには個人のプライバシー保護が不可欠なのです。

戦前はどうだったの

「プライバシ保護」か「言論の自由」か、と二者択一と捉えている方も多いようですが、戦前は個人のプライバシーも言論の自由もなかったのです。二者択一ではなく、個人のプライバシーが保護されるから、個人は自由な行動や自由な発言ができるのです。個人の自由な言論を基盤に報道機関の報道の自由があり得るのです。

重要なのは、組織の権力が個人の言論の自由を妨害するのです。戦前も同じです。雑誌の記事でも、組織の権力で、わい曲される報道もあり得るのです。昔も今も報道機関の御都合主義は否定できないのです。組織とはこれなのです。(だから内部告発も必要なのです)

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従って言論の自由を守るためには個人のプライバシー保護が不可欠なのです。またプライバシが保護される限り組織の暴力も個人の言論の自由を侵すことはできないのです。

民主社会では、社会の構成員である個人、が全てに優先されるべきなのです。プライバシーでも言論でも、最も保護すべきは、個人であって、組織ではないのです。
すなわち判断が迷うときは個人が優先される社会が民主社会なのです。

そもそも「報道の自由」に限らず全てに「錦の御旗」的思考は危険です。消費税もそうですが、反対できないように錦の御旗になりつつあるのを危惧しているのです。

●文春問題で重要なのは、

1.文春側が、自発的に、裁判所と長女に発売前の同誌を提出した。これでは事前検閲には当たらない。

2.発売前など発売時期には関係なく、裁判官が読んだ時点で、決断すべきでしょう。それで問題あると認定すれば、発売前なら発売禁止、発売後なら回収命令、が当然です。

3.長女は私人かは別にして、「一人の私人を守ろうとした」裁判官の行動は評価すべきです。差し止めにすれば反響は大きくなることは当然認識していたはずです。正義より反響を気にし1人の私人程度だと無視するとすればこれこそ問題なのです。

4.もちろん、裁判官の「記事に問題あり」との判断が正しかったかは別問題です。裁判で決着すれば良いだけです。

5.全てに裁判が決めてです。3権分立の独立した司法がある限り、裁判官の行動は事前検閲には全く該当しないのです。憲法判断もこうあって欲しいと思うのですが。04.3.18

●以下 毎日新聞 O4年3月18日 の一部抜粋

田中真紀子衆議院議員の長女の私生活を巡る週間文春の記事で、販売など差し止めを命じる仮処分決定を受けた文芸春秋は17日、決定を不服として東京地裁に保全異義を申し立てた。「言論の自由に対する暴挙。行き過ぎであり、劇薬だ」と主張している。ーー

東京地裁は16日午後4時半から開かれた審尋では、鬼澤友直裁判官を挟んで双方が並んだ。文春によると、長女自らも出席し「プライバシーを侵害され、心痛を被っている」と何度も訴えたという。これに対し文春側は「人権に十分配慮している。記事には公益性、公共性、はあると確信している」などと応じた。文春側はこの場のやり取りで裁判官も長女側も記事を読んでいないと考え、発売前の同誌を提出した。いずれも熱心に記事に目を通していたという。

同日午後6時、再度の審尋で、文春側は「長女は田中前外相の後継者となり得る人。一般の私人、一女性とは違う」と主張をくり返した。

そして午後7時45分、仮処分の決定が裁判所職員によって文春に届けられた。ーー

(以上)

日本では憲法は必要ない我が家とは判決違う最高裁

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「 返信 」  

個人の言論の自由が最優先

2004年3月24日 午後12時17分
投稿者: hattonin2000

>しかし個人のプライバシーを尊重すれば言論の自由は無くなる。>

組織は、報道界に限らず横暴なのです。戦前は報道界も権力に味方して、個人の言論の自由を迫害したのです。組織の「言論の自由」とは、組織間、すなわち権力者に対してでしょう。

個人のプライバシ保護があって言論の自由が保護されるのです。

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返信   

個人の自由な行動を妨害しているのです

2004/ 3/26 9:39 投稿者: hattonin2000

個人が嫌がるのに、報道する理由は?目的は?
嫌がるのに報道するのは個人の自由な行動を妨害していることになるのです。

>「婚姻関係自体は公に公表すべきものである」>

なら国民の了解を得て、すなわち、法律できめるべきでしょう。
組織は、報道関係でも、そこで働く職員個人には自由な行動、自由な言論を保証していないのです。だから組織は横暴になるのです。

内部告発も含めて、個人の自由な行動、自由な言論を優先的に保護されることが「言論の自由には必要にして十分」なのです。

今回の文春の記事は「個人の自由な行動や個人の自由な言論」の弾圧にもなりかねないと思うのです。

組織の自由な行動や言論の自由より、個人の行動や言論の自由を優先すべきなのです。

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返信   

個人を守るのがプライバシー保護です

2004/ 3/27 17:25 投稿者: hattonin2000

>だからこそ、なおさら司法が報道の自由を阻害してはならない。>

司法には利権が伴わないので組織力は働きにくいのです。それに司法は判決の根拠を国民に知らせるのです。だから司法が報道の自由を迫害することは困難なのです。

特に重要なのは公平な裁判ができるかで、そのためには裁判官個人の自由な行動や自由な発言を阻害すべきではないのです。

>どうみてもこれは矛盾する。言論の自由のためプライバシ保護は廃棄すべし。>

内部告発のように、無記名なら発言ができるのです。しかし無記名でも発言するのには勇気が必要なのです。思想信条でも秘密にしたいのです。

現状では、「プライバシ保護廃棄」は嫌がらせに通ずるのです。だから権力者に不都合な発言した場合は徹底的にやられるでしょうね。それを恐れて自由な発言は出来なくなるのです。

組織は自己の利権に重点を置くので、組織の横暴を防ぐのは、基本的には個人や司法、にしかできないのです。

ただ「民主社会のプライバシーとは何か」を検討する必要がありますね。

04.3.18

211-04.4.12